秋季祭~例祭、神幸祭神輿渡御


9月19日の例祭は、年間で最も重要なお祭りで、弘化4年(1847)旧暦8月19日に、旧鎮座地である正院羽黒山より、現鎮座地に遷座された折、獅子の神楽を供奉して慶賀の祭りをしたことに始まり、大政奉還後、新暦9月19日となって、今にいたります。


日本遺産として名高い「キリコ」は「切籠」と書き、切子燈籠が語源と言われ、お神輿の夜の渡御のお明かしの役目を果たし、江戸時代後期から昭和の初めにかけて、奥能登を中心に、高さ5~6間の巨大なキリコが各地で作られ、集落の繁栄の象徴として、盛大な祭礼が行なわれていました。 現在のように3間前後(5~6m)のキリコが主流になったのは、大正期に電線が張り巡らされたことによります。


しかし、羽黒神社の氏子である正院小路は、名の通り道が狭く、巨大なキリコは往来が不可能だったため、当初は獅子舞と太鼓山が供奉していましたが、昭和の中ごろに道路が整備され、当時多くいた子供たちをすべて祭礼に参加させるためにキリコが作られ、以降、キリコと獅子舞が同時に供奉することとなりました。

能登、加賀、越中には数限りなく獅子舞がありますが、珠洲ではめずらしく、この獅子舞は弘化4年羽黒山より遷座の折舞われたものを今に伝え、太鼓がなく笛と手拍子、拍子木で囃し、牛若、弁慶が夫婦(めおと)獅子と舞う特異な神楽で、佐渡の能の影響を色濃く受けており、遠く、文明年中に出羽の国より海路で、佐渡島を経て、出羽三山開祖蜂子皇子のゆかりの地である、この珠洲の地へ羽黒大神様がご鎮座せられた故事を思い起こさせます。

家内安全、夫婦和合、子授け、子育ての神恵があるとされ、古く近郷近在の参拝者で賑わったといいます。

午後2時よりの祭典では、雅楽を奏でる正院町雅楽会も、祭礼の衣装のまま、ご奉仕いたします。

キリコに導かれて、お神輿は町の隅々を廻り、辻々で神事を齋行いたし、お祭りは深夜に及びます。

お神輿とキリコが神社に還幸するのは、深夜の0時過ぎで、境内での乱舞と、最後の獅子の演舞を終えて、ようやく神幸祭の終了です。

羽黒神社

奥能登珠洲市正院町鎮座 祓(はらえ)のやしろ 導きの大神 子育て明神 家内安全、縁結びの神

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