羽黒神社御由緒

御祭神 

主祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)


合祀祭神(白山比咩大神)

     菊理姫命(くくりひめのみこと)

     伊弉諾命(いざなぎのみこと)

     伊弉冊命(いざなみのみこと)


羽黒神社の本宮である、出羽の國(現在の山形県鶴岡市)羽黒山の開祖蜂子皇子(はちこのおうじ=崇峻天皇の御子)は、曽我氏との争乱を避けて都を離れ、北陸道より能登へ至り、この珠洲の地より船で佐渡を経て、出羽の由良の浦にたどり着き、三本足の大カラスに導かれて羽黒山に至り、苦行の末に羽黒大神の御示現を仰がれ、羽黒山、月山、湯殿山の三山を開かれたといいます。

後に、羽黒山系の修験者が、開祖蜂子皇子の足跡をたどって、諸国に羽黒権現を祀る社を建立していったうちの一社が、当社であると考えられ、ゆえに、羽黒大神様は、物事を良い方向へ導いて下さる「導きの大神」と称されます。


主祭神の倉稲魂命は稲穂を始めとする食物の守護神で、五穀豊穣、商売繁盛の神、またあらゆるわざわいや厄、苦しみを除いてくださる祓(はらい)の神、厄除けの神として名高く、相殿に坐す白山比咩大神は 縁結び、家内安全、交通安全の神として仰がれます。


御由緒

当社は古来「羽黒宮(はぐろのみや)」「伊氐波宮(いではのみや)羽黒大権現」と称し、文明年中(1469~1487)出羽の国(現在の山形県)羽黒山出羽神社(いではじんじゃ)よりご分霊を勧請、ご鎮座の地は今も「正院羽黒山(はぐろやま)」と申し上げます。

正院小路の羽黒山は麓から氏子集落まで「八丁八の田」とよばれる水田が広がっており、本宮の出羽三山が庄内平野を潤す神様として信仰されるがごとく、正院全土の食をつかさどる「田の神」「水の神」として信仰され、昭和の初めごろまで行われていた「虫送り神事」は正院小路の氏子のほか正院・飯塚・岡田・平床・川尻の各集落の住民が集まって行われており、また秋の祭礼には「子授け明神」として子宝や子育てを願う近郷近在の参詣者で賑わったといいます。

元禄16年(1703)、次いで延享5年(1748)社殿を再興。弘化4年(1847)9月19日小路村字丸山鎮座の「白山神社」を合祀し、羽黒山山頂より現鎮座地に遷座。以来、小路八丁全域の産土神(うぶすなのかみ)とひろく崇敬せられ、社号を「羽黒神社」と改称し現在に至ります。


(↓昭和38年、本殿改築の際の浦安の舞)

(↑昭和63年、本殿遷座祭)

(↓仝、社殿竣工慶賀祭)

明治5年村社、大正10年神饌幣帛料供進神社に指定。昭和38年本殿改築。同63年幣殿・拝殿改築。更に平成5年羽黒神社齋館建立。平成14年には神社本庁より神社振興対策指定神社の認定をうけています。

現在正院町小路を始め十の神社(小路、岡田、乙谷出、新保口、平床、細屋、内方、森腰、粟津、熊谷)の総社、能登伊氐波宮(のとのいではのみや)と広く崇敬されています。