正院町雅楽会

雅楽は、日本でいちばん古い伝統をもつ音楽です。

今から1,400年ほど前(奈良時代)にアジア大陸からやってきた音楽と、日本にもとからあった音楽、神楽や田楽、猿楽などがあわさってできたもので、平安時代に宮廷音楽として栄え、しだいに神社やお寺でも演奏されるようになりました。

現在、インドや中国、朝鮮半島では雅楽は完全に消滅しており、日本のみ独特の進化を遂げたものが現在の雅楽であり、平安時代にその形式が完成されてから千年以上変わらずに伝えられている、世界でもたぐいまれな音楽であります。


能登で一番古い歴史を誇る雅楽会



明治30年代当時、正院長濱八幡神社と羽黒神社の宮司(当時は社掌といいました)を兼ねていた正院髙山家第21代源朝臣良一が、加賀一の宮白山比咩神社奉職を経て雅楽を学び、地元有志を集めて神社で演奏を奉仕したのが始まりです。

後に会は22代良孝社掌に受け継がれましたが、昭和19年、大東亜戦争戦局悪化により良孝社掌までが召集され、終戦後もシベリアに強制抑留が続き、雅楽会は有名無実となっていました。

昭和23年、ようやく抑留から解放されて帰還した良孝氏は羽黒神社を本務として宮司に復帰し、朝鮮神宮楽師として軍属していた戦友中村氏を講師に、新たにメンバーを募集して雅楽会を再結成し、会の名称を正式に「正院町雅楽会」としました。

以来、世代交代を繰り返しながら現在に至り、羽黒神社を中心に演奏活動を続けています。


雅楽で使用する楽器について

 一般に雅楽に使う楽器は、主旋律の篳篥(ひちりき)、横笛の龍笛(りゅうてき)、竹を組み合わせてハーモニカのような音が出る鳳笙(ほうしょう)の三管で和音を奏で、琵琶(びわ)や箏(こと)の弦楽器に、打ちもの(パーカッション)の鞨鼓(かっこ)、鉦鼓(しょうこ)、太鼓(たいこ)の三鼓が加わります。

これらの組み合わせを「三管・三鼓・両弦(さんかん・さんこ・りょうげん)」と呼びます。


(↓上)鞨鼓(かっこ)・太鼓(たいこ)・鉦鼓(しょうこ)

(↓下)神楽笛(かぐらぶえ)・龍笛(りゅうてき)・篳篥(ひちりき)・鳳笙(ほうしょう)

曲にあわせて舞をまうものを「舞楽(ぶがく)」といい、演奏だけのものを「管弦(かんげん)」といいます。

大別して日本古来の歌謡に属する「國風歌舞(くにぶりのうたまい)」、中国から伝わった「唐楽(とうがく)」、朝鮮半島から伝わった「高麗楽(こまがく)」の3種にわかれ、そのなかにも壱越調(いちこつちょう)・平調(ひょうじょう)・双調(そうじょう)・黄鐘調(おうしきちょう)・盤渉調(ばんしきちょう)・太食調(たいしきちょう)の6つの調子があります。

曲の種類によって楽器を変える場合もあり、たとえば、「高麗楽」では龍笛の代わりに「高麗笛」を、鞨鼓の代わりに「三の鼓(さんのつづみ)」を使用したり、神楽「浦安の舞」では龍笛の代わりに「神楽笛(かぐらぶえ)」を使用します。

また、「國風の歌舞」では「笏拍子(しゃくびょうし)」という笏を縦に割ったようなもので拍子を取る場合もあります。

雅楽は合奏でありますが、洋楽のオーケストラのように指揮者はおらず、打楽器も(一部の曲を除いて)リズムを刻むということはなく、多くは相の手のような打ち方です。

よって、演奏者が各々で取る「拍子」が重要となります。

そのためには曲を音声に置き換えた「唱歌」を手で拍子を取りながら、何度も何度も歌っておぼえます。


「鳳笙は雲の隙間から射しこむ光(天)を表し、龍笛は空中を舞う龍(空)を表し、篳篥は人混みの雑踏(地)を表す」というような表現がありますが、この三つの音が調和してこそ幽玄で雅やかな雅楽の曲が成立するのでありまして、各々パートが少しでも過剰に強調しだすと、ただの「騒音」となってしまいます。

故に、奏者相互の融和が最も必要であるのが雅楽なのであります。


正院町雅楽会の活動

正院町雅楽会は毎週木曜日(午後7時~8時30分)羽黒神社斎館において練習を重ね、羽黒神社の恒例祭を始め、石川県神社庁珠洲支部行事、また寺院での演奏奉仕や、施設慰問など、広く活動しています。

各祭典ごとに管弦の演奏のほか、歳旦祭・春季祭には巫女舞(浦安の舞他)、また、紀元祭には唱歌「紀元祭」、天長祭には国家「君が代」を演奏いたします。

メンバーは普段はお勤めの方や、中学・高校生が多いため、全員が揃うことは滅多にありませんが、頑張ってご奉仕いただいております。

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※正院町雅楽会ではメンバーを募集しています。

 興味のある方はお気軽に、下記までご連絡ください・。

  羽黒神社社務所 電話0768(82)1758